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松永久秀というとどんなイメージがありますか?
「主家、将軍、神仏も恐れない怖いものなしの人物」
「日本で初めて?爆死した人物」
というイメージがあります。
いわゆるヒール役的な印象が強いです。
にも関わらず、人気の武将だなと思います。
いろいろエピソードに事欠かないようですし、突き抜けたヒールは人気があります(笑)
最終的には信長を裏切り、壮絶な最期を遂げますが、信長のお気に入りの1人だったんではないかなと思っています。
悪名高いと言われた松永久秀の壮絶な最期!信長のお気に入りだった?
松永久秀が行ったとされる三悪事とは?
・「主家乗っ取り」
三好長慶の家臣であったが、長慶の死後、主家を滅ぼし乗っ取った。
・「将軍・足利義輝暗殺」
将軍の復権を目指していた足利義輝が邪魔になり、暗殺した。
・「東大寺大仏殿焼き討ち」
敵対する三好三人衆が東大寺に陣を構えたが、かまわず火を放って焼いてしまった。
近年、諸説あり、必ずしも松永久秀が行ったわけではないという話もあるようです。
日頃の行いなどから、「あの人ならやりかねない」と思われてしまったパターンなんでしょうか(笑)
信長のお気に入りだった?
松永久秀、1度目の裏切り
織田信長が足利義輝の弟・義昭をとともに入京したとき、松永久秀はいち早く降伏しています。
その時に義昭は兄の仇である久秀を討つよう信長に頼みますが、信長は久秀を討つことはしませんでした。
信長は松永久秀の能力を見抜いていたのではないかと思います。
松永久秀は、信長に降伏するとき、名物と言われる茶器を献上しています。これも、お気にいりポイントとして、加算されたかもしれません。
その後松永久秀は、武田信玄と通じ、信長を裏切ります。
結局は、信長に降伏します。
信長は、この時に、久秀を許しています。
能力主義者だった信長は、1度裏切られても、久秀の能力を認めていたから許したのではないかと思います。
松永久秀、2度目の裏切り
再び、久秀は信長を裏切ります。
この時、信長は「久秀の持っている名茶器を渡して、降伏すれば許すよ」と言っていたそうです。
1度ならまだしも2度も裏切られ、いくら名茶器が手に入るとしても、よく許す気になるなあと個人的には思います(汗)
やはり、この一件からも松永久秀は、信長に認められていて、お気に入りだったのではないかと思います。
松永久秀の壮絶な最期
2回目の裏切りの時は、久秀は降伏しませんでした。
そして、最期は、戦国一の名茶器「平蜘蛛」の中に爆薬を仕込みました。
信長が喉から手が出るほど欲しがった名茶器とともに爆死したと言われています。
日本で最初に爆死した人とも言われているようです。
似ている2人
織田信長と松永久秀は根幹の部分が似ているように感じます。
久秀は常人では行えない3悪事を行ったと言われていますが、久秀にしてみれば、目的達成のため、タブーを恐れずに必要なことを行ったまで、という感じなのかなと思います。
信長も当時タブーとされていた比叡山延暦寺焼き討ちなどを行っています。
タブーを恐れず、実行に移していくところが似ているなあと個人的には思いました。
信長自身、久秀のそういった部分に共鳴していたのかもしれませんね。
信長の配下は合わなかった?
似たもの同士の2人ではありますが、似ているからこそ、久秀には信長の配下は合わなかったと思います。
三好家に仕えていた時も最終的には主家を凌ぐ勢いになっていました。
松永久秀は、誰かの手足となって忠実に尽くしていくよりは、自分自身の手で政を動かしたい人なんじゃないかなと思います。
しかし、信長はブレーンを必要としない超トップダウン方式の武将で、家臣に意見は求めませんでした。
また、能力主義者なので、優秀な人にはじゃんじゃん仕事が回ってきたと思います。
自分の意見が通せない環境の中、こき使われるみたいな感じだったように想像します。
そういった環境は松永久秀には合わなかったのではないかと思います。
そのため、チャンスを伺っては、謀反を起こしていたのではないでしょうか。
まとめ
3悪事を行ったと言われる松永久秀は、
タブーを恐れない決断力と行動力がある武将だと思います。
そんなところが織田信長にも通ずるところがあるように思います。
しかし、似ているからこそ、上司と部下の関係の枠組みの中では上手くいかなくなってしまったのかなと思いました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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