どうもみやです。本日もお越しくださり、
ありがとうございます。
日本史史上もっとも出世した人物と言っても過言でない豊臣秀吉の生涯について
簡単にお伝えしたいなと思いました。
大河ドラマが面白いと思ったのは、91年の
「太平記」からですが、
日本史自体に興味を持ったのは、
秀吉との出会いが一番大きかったと思います。
秀吉の前半生のサクセスストーリーや
信長の草履を懐で温めていた逸話
(諸説あるようです)、
底抜けに明るく、ひょうきん者で気働きもできる!
という秀吉のイメージ戦略にすっかり乗せられた(笑)小学生時代のわたしは、
「秀吉」そして、最下層の身分でも天下人まで上りつめられるという
「戦国時代」なるものに興味を持ち始めるのでした。
天下統一後は「性格、変わった!?」と言われるほどで、
前半生好きだけど、後半生はあんまりという声もちらほらあるように感じています。
同一人物の生涯でここまで好き嫌いが2分する人もあまりいないのかなと思います。
秀吉の天下統一前、天下統一後の生涯について、簡単紹介
天下統一前の秀吉
織田家仕官直後まで
秀吉の出自は、農民の出身とも足軽の子とも言われているようで、
はっきりとした記録はないようです。
裏を返せば、記録が残るような高い身分の出
ではないことは確かなようです。
十代で家を飛び出し、物売りをしていたなんて話も大河などでも出てきていました。
その後、織田家に仕えることになり、次第に頭角を現していくことになります。
秀吉が信長に目をかけられるきっかけとしては、先述した草履の話があるわけですが,
これは信憑性が低いと言われているようです。
個人的にはこの話が本当であれば、夢があっていいなーと思います!
信長、秀吉双方のキャラクターからしてもあり得そうな話ですしね。
秀吉の出世
織田家に仕官後の秀吉は出世街道
まっしぐらです。
多くの武将たちは戦場で
武功をあげることにより、出世していくわけですが、秀吉の武功のあげかたは、王道の
「武力VS武力」ではありませんでした。
秀吉が得意としていたのは「城攻め」でした。
城攻めとは、敵の補給路を断つ「兵糧攻め」
「水攻め」などがありました。
「秀吉様は人の命を奪いたくない」から武力衝突はしないと言っていた大河もあったような
記憶がありますが、人命を奪いたくないとかはないかと思います。(笑)
補給路を断たれると城内に食料が入ってこなくなるので、飢餓状態になりますんで、
凄惨な戦には変わりないです。
確かに武力衝突はしないので、味方の人員の損失を抑えることができるという
利点はあるかと思います。
秀吉自身が武家の出身ではなく、もともとの家臣団もないため
王道の戦い方が難しかったかもしれないです。
また、いかに人員の損失を抑えて勝つか、知恵者秀吉がたどりついた戦の方針だったのかな、
と個人的には思っています。
中国大返し~天下人へ王手をかける
秀吉が中国地方の毛利氏と戦をしていたときに、あの有名な「本能寺の変」が起こります。
本能寺の変を知るやいなや、すぐに毛利氏との和睦をまとめ、明智光秀を討つために
驚異的なスピードで戻るわけです。
そして、山崎の戦いで明智光秀に勝利します。
「主君信長の敵を討った」という最強カードを手に入れることになります。
そりゃあ、織田家中での発言力も増しますよね。
本能寺の変で1番得したのは秀吉、まるでドラマのような出来過ぎた展開…。
本能寺の変を毛利方に伝えようとした使者が
間違って秀吉の陣に紛れ込んでくるなんてシーンがある大河もあったように
記憶していますが、史実がそうだったら運が強いにもほどがある…。
本能寺の変の「秀吉黒幕説」が流れるのも無理もない話です。
たとえそうだったとしても、天下人となった秀吉には、自分の都合の良いように
記録を残させるくらいは簡単だと思いますので、完全犯罪も可能な立場です。
ただ、個人的には、秀吉黒幕説はないんではないかと思います。具体的な根拠はないんですが、もし黒幕だとしたらブラック過ぎます!
黒幕とまではいかなくても、事前に間者などを使って信長周辺の情報を得ていたくらいは
行っていたのではないかと思います。でないと、なぜ早く知り得たのか説明がつきません。
天下統一後の秀吉
天下人の秀吉は世間的にはあまり良く思われていないように思います。
主に、次の2つの出来事が原因かなと思います。
朝鮮出兵
明への侵攻の足がかりにまず朝鮮に入るわけですが、
慣れない異国での戦に諸大名たちはかなり苦労を強いられるわけですね。
大河あたりでも「太閤殿下はどうかなされたのか。三成の讒言に惑わされているのか」
みたいな展開になってしまうんですよ。三成好きとしては、三成がかわいそうですね(笑)
朝鮮出兵は、晩年の秀吉が少しおかしくなってしまって、突然思い立ったような感じで
描かれることが多いですが、個人的にはその構想はずっと温められていたように感じます。
信長に仕えていたというところが大きいのではないかなと思います。
信長自身、宣教師の布教を認めたりして、積極的に外国と交わろうとしていました。
鉄砲なんかも早々に取り入れ、外国との交易はかなり重要視していたと思います。
大河では和洋折衷のような格好もしてますしね。(笑)
そんな信長の方針を間近で触れることができたでしょうし、
天下を取った暁には、世界も視野にいれるという構想は持っていてもおかしくはないと
個人的には思います。
また、秀吉のキャラクター的に、
「ガンガン外へ出て行って、事業拡大しまくるぞー」みたいな感じに見受けられます(笑)
秀次事件
これは謎です。本当は何があったのか…。
秀次がかなりひどい行いをしていたと言われています。
しかし、秀吉の行為の正当性を主張するため、
秀吉に都合が良い形で記録が書かれている可能性は否めません。
豊臣秀次は秀吉の姉の子で、秀吉とは叔父と甥の関係になります。
秀吉が実子に恵まれないため、数少ない秀吉側の血縁ということで
後継者というような扱いでした。
秀次自身ももともとは、秀吉同様、領主の子息で育ったわけではないのですが、
彼自身の功績ではなく、秀吉の出世に伴い、どんどん置かれる立場や環境が変わり
最終的には関白にまでなってしまいます。
これは、環境の変化についていけず、多少人格が崩壊するのはあり得るのではないかと
個人的には思いました。
16年の真田丸を見ていた時なんかは、近年、秀次の功績が見直されてきているなんて話も
あって、言われているような残虐非道な人物ではない可能性が高いのかもしれません。
秀次のみならず、子息や側室たちまで処刑した…。よほどのことがなければ、
ここまではしないと思います。
何が秀吉にそこまでさせたのか…。本能寺の変と同じくらいに説明がつかない
と思っています。
やはり、我が子かわいさからこうなってしまったのか…。
天下人となった秀吉はなんでも手に入れることができたでしょうが、
そんな秀吉でも思い通りにできなかったのは、自身の血を分けた実子に
恵まれることだったと思います。
諦めていたところに、秀頼が生まれましたからね。かわいくて仕方なかったとは思います。
秀吉自身、清洲会議で信長の孫・三法師を後継者に押していたんですが、
結局、天下を譲る気なんてなかったですからね。
自身のそういった経験から、自分の死後、秀次が秀頼に対し、
同じことをするかもしれないという懸念はあったのかもしれません。
だからといって、やりすぎだと個人的には思いました。
個人的には、この事件は豊臣政権の滅亡を招いた大きな要因だと思っています。
数少ない血縁者だった秀次。政権の維持のためには、秀次を大事にして、
豊臣一門を増やし、一族の基盤を盤石にしておく必要があったと思います。
その辺の基盤がしっかりしていれば、家康も易々と天下を取れなかったかもしれません。
まとめ
豊臣秀吉について簡単にまとめてみました。
思ったのは秀吉は己の欲望に忠実だなと思いました。
天下人ですが聖人然としていなくて、よくも悪くも人間らしいと言いますか。
受け入れられない部分も個人的にはありますが、不思議と親近感を覚えてしまいます。
まさに、そういうところが人たらしと言わしめたところではないかと思っています。
もうどんな秀吉を見ても嫌いになることはないと思うので、
震え上がるようなブラック秀吉大河を見てみたいなと個人的には思っています(笑)
それでは、この辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
【秀吉は織田家に忠誠心があったのか?】
【歴代大河の秀吉】
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