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本日は、明智光秀の母・牧についてです。
2020年大河ドラマ麒麟がくるでは、石川さゆりさんが牧を演じています。優しく、時に厳しくもある、まさに理想のお母さん像として描かれているなと思っています。
しかし、その最期は織田信長の方針転換の犠牲となり、人質として処刑された悲しい逸話が残っています。
実は、人質として処刑されたというのは、後世の創作であるとも言われています。その真相とは?
明智光秀の母・牧の最期は人質として処刑された?その真相とは?
牧の処刑の発端となった明智光秀と波多野氏との戦いとは?
1575年、明智光秀は織田信長に丹波攻めを任せられます。
この頃の丹波は、国衆たちが足利義昭派と織田信長派に別れていました。光秀は反信長派を抑えるため、信長の命で丹波に派遣されます。
当初、波多野秀治という国衆が光秀に味方をしていました。しかし、秀治は反信長側に寝返ってしまいます。
このことにより、光秀は一時丹波からの撤退を余儀なくされます。
その後、光秀は丹波攻略の拠点として亀山城を築きます。そして、波多野秀治の城の周りに包囲網を築きます。
城の周辺に堀や柵を何重にもめぐらし、城への通り道を遮断。波多野氏を孤立させることに成功します。
孤立した波多野氏は、食料を得ることができず、数百名の餓死者を出す過酷な状況に追い込まれます。
ついには、波多野秀治は降伏し、安土に連行され処刑されました。
処刑された?明智光秀の母・牧
波多野秀治の降伏にあたり、その身の安全の保証として、光秀は自分の母を人質として波多野氏に差し出したと言われています。
しかし、信長がこの約束を破り波多野氏を処刑してしまいます。
怒った波多野氏に家臣たちは、報復として光秀の母を磔にし、処刑してしましました。
兵庫県丹波篠山市高城山中には、光秀の母が磔にされた木があったと伝えられています。
このことで光秀は信長を恨み、本能寺の変の引き金の1つになったとも言われています。
実は処刑されていなかった?光秀の母・牧
光秀の母の処刑の逸話は、実は後世の創作の可能性が高いと言われています。
光秀の母の処刑の話が出てくるのは、江戸時代に入ってから書かれた資料に見られます。
実際に明智光秀が生きていた頃に書かれている同時代の資料には、母が処刑されたという記述は出てこないようです。
そのため、母の処刑の話については、信憑性が低いと言われています。
また、光秀の城攻めにより、波多野氏は多数の餓死者を出しており、かなり追い込まれた状況でした。
この状況の中、波多野氏が降伏するにあたり、わざわざ自分の母を人質に差し出す必要性はないとも言われています。
さいごに
明智光秀の母・牧の悲しい最期については、どうやら後世の創作の可能性が高いようです。
母を見殺しにされた恨みを晴らすため本能寺の変を起こしたという説は、非常にストーリー性があり、さらに江戸時代以降の価値観にフィットしやすいように感じました。
光秀についてもわかっていないことが多く、その母についても同様にわかっていないことが多いです。
実際は、牧はどのような最期を迎えていたのでしょうか?
個人的には本能寺の変の前に亡くなっていたほうが、その後の光秀の敗死や明智一族の自害などを知ることもなく、牧にとっては幸せのように思いました。
麒麟がくるでは、牧の最期はどのように描かれるのでしょうか?
定説通り処刑されてしまうのか、それとも別の描き方になるのか気になるところです。
本日はここまで。最期までお読みいただき、ありがとうございます!
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