明智光秀の丹波攻め!その過酷さと攻略を可能にした秘策とは?

どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!

本日は、明智光秀の丹波攻略についてです。

この丹波攻略は、光秀にとっては非常に過酷なものであったと言われています。

なぜ過酷だったのか?

そして、光秀はある秘策のおかげで、丹波攻略を成し遂げることができたのです。

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明智光秀の丹波攻め!その過酷さと攻略を可能にした秘策とは?

なぜ過酷と言われるのか?

泥沼化する丹波攻略

この時の丹波は、織田信長派と足利義昭派に分裂していました。

明智光秀は足利義昭派の国衆たちを抑えるという信長の命令を受け、丹波に派遣されました。

当初は国衆の1人波多野秀治が光秀の味方となっていました。しかし、波多野秀治は急に戦場から離脱してしまいます。

大きな味方を失った光秀は丹波からの撤退を余儀なくされます。

他の義昭方の国衆からも強い抵抗を受け、光秀の丹波攻略は泥沼化していくのです。

丹波攻略に専念できない

一時丹波から徹底した光秀ですが、休む暇もなく、再び信長の命により、大坂本願寺との戦いに加わります。

こちらの戦いもかなりハードなもので、光秀らは一時本願寺勢に包囲されてしまいます。信長の援軍により助かりますが、過酷な戦況でした。

丹波攻めから過酷な戦いが続いていたせいか、光秀は過労により病気になってしまいます。

光秀は信長の命で、丹波攻めと同時に本願寺などの他の反信長勢力の対応を求められていました。

丹波攻めに集中させてもらえる状況ではなかったのです。

本願寺以外にも紀伊の雑賀衆(紀伊北西部の傭兵集団)を攻撃したり、松永久秀の謀反への対処、荒木村重の謀反への対処など、信長は光秀を各地転戦させていたのです。

光秀にとっては、いわゆる過重労働だったと思います。

しかし、信長としては、それだけ光秀を信頼していたのではないかと思います。

有能だからこそ、どんどん仕事がまわってくる状態だったのかなと思います。

これは、現代の会社組織でもあることかなと思います。

信長って、こんなに仕事お願いしたら大変かな?とかそういうことは考えなさそうなイメージがあります(笑) 個人的には人の気持ちを想像したりするのが苦手な人っぽいイメージです。

最愛の人を失う

丹波攻めの期間に、光秀の妻・煕子が亡くなったという説があります。

本願寺攻めの時に光秀は過労で病気となり、療養していました。その時に妻・煕子が看病にあたっていました。

しかし、光秀の病気が煕子にうつってしまい、その翌月に煕子は亡くなってしまったと言われています。

光秀は側室がいなかったと言われていて、夫婦の絆の深さを示す逸話も残されています。

光秀にとっては最愛の妻であり、激しい激務の中、心の支えであったと思います。

丹波攻めも泥沼化し、各地を転戦させられ、そして最愛の人を亡くす。

公私ともに辛いことばかりで、光秀は心身共にボロボロだったのではないかと思います。

丹波攻略の秘策とは?

公私とも大変な状態であった光秀ですが、最終的には丹波攻略を成し遂げています。

丹波攻めと同時に、信長の命令で各地に転戦させられていた光秀。丹波攻めに集中できる状況ではありませんでした。

光秀は京と丹波を結ぶ要所である亀山に亀山城を築き、この城を丹波攻略のための拠点とします。

そして、光秀は手紙で家臣たちとやりとりを行います。手紙で報告を受け、手紙で指示を出していました。

このやり方により、直接丹波に出向かなくとも丹波攻略を進めていくことができたのです。

リモートワークの先駆けだったのかもしれません。

そして、当初の丹波に派遣されてから実に4年という歳月を経て、丹波攻略を成し遂げたのです。

光秀は信長より丹波の支配を任され、勢力圏を広げます。

信長は光秀の丹波攻略を褒め称えていた言われています。

これにより、光秀は織田家のトップクラスの重臣にのし上がったと言えるのではないかと思います。

さいごに

光秀にとって非常に過酷であった丹波攻め。

打開策を考え、実行し、攻略を成し遂げました。

光秀は非常に有能な人物であったことが伺えます。

そして有能なため、信長から多くの仕事を任されていたのではないかと思います。

光秀自身は心身共にかなりきつい状態であったと思います。

その中でも必死で成し遂げたのは、信長の信頼を失いたくないという思いがあったように思います。

諸説ありますが、光秀が信長に仕え始めたのが40歳頃と言われています。

当時の寿命などから考えるとかなりの遅咲きの人物です。

今、信長の信頼を失ってしまっては、年齢のこともあり、「もう後がない」という思いもあったのではないでしょうか。

そのため、どんなに辛い状況でも必死に信長の期待に応え続けようとしていたのかもしれません。

ずーっと頑張って張り詰めてきた光秀の気持ちがどこかで切れてしまったことにより、本能寺の変につながったのかもしれないな、とも思いました。

本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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