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日本史上最大のミステリーと言われる「本能寺の変」。
数多くの説が言われています。
その中の1つに「秀吉黒幕説」があります。
歴史の結果から見ると、本能寺の変が起きたことで、1番得をしたのは後の天下人「豊臣秀吉」です。
1番利益を得た人が疑われるのは、推理を行う上ではセオリーとも言えますね。
「秀吉黒幕説」はあったのか?
秀吉の織田信長への忠誠心と明智光秀との関係性から考察してみたいと思います。
本能寺の変「秀吉黒幕説」秀吉の忠義心と明智光秀との関係性から考察
秀吉が疑われる理由とは?
・結果からして、1番得をしたのが秀吉。
・秀吉は信長に対し、不要な援軍を要請したと言われている。
→光秀が秀吉の援軍に向かうこととなり、これにより、光秀が信長討伐に向けて、兵を動かしても不自然な状況ではなくなった。
・秀吉の鮮やか過ぎる中国大返し。
→戦中だった毛利との和睦をすばやくまとめ、1週間足らずで200㎞を移動。
事前に根回しや準備をしていなければ、達成は困難なことを成し遂げている。
織田信長に対する秀吉の忠義心
秀吉は織田信長個人への忠誠心はあったと思います。
秀吉が若かりし頃、織田家に仕える前は、今川義元の家臣の松下之綱という人物に仕えていました。
秀吉は持ち前の賢さで出世をしていくのですが、他の家臣たちに妬まれ、最終的には松下家を出ることになります。
後に秀吉が大出世を遂げた後、之綱を家臣とし、最終的には大名に取り立てています。
最初の主君から受けた恩を忘れていませんでした。
こんなエピソードもあることから、秀吉は意外と?律儀だと思います。
織田信長がいなければ、今の自分はないということもわかっていたのではないでしょうか。
そのため、信長個人への忠義心はあったと思います。
信長が存命中は自分が天下人になろう、とはおそらく秀吉は考えていなかったんじゃないかと思います。
わたし個人の願望もありますが、中国大返しは、信長の仇を討ちたいという一心で駆け抜けたのではないかなと思います。
ただ、後の秀吉の行動から見るに、信長個人への忠誠心はあったけど、織田家への忠誠心はそうでもなかったのかなという感じがします。
信長個人への忠誠心はあるので、秀吉は信長を討とうとはしない、というのが個人的見解です。
秀吉と明智光秀との関係性を考察
秀吉と明智光秀がタッグを組めば、本能寺の変後も上手く事が運んだんじゃないかと思います。この2人が組んだら、無敵な感じがします。
しかし、個人的にはこの2人は組まないような気がします。
秀吉と光秀は、秀吉と前田利家のような昔なじみでもなければ、同郷でもありません。
光秀は将軍足利義昭と織田信長を結びつけた人物です。その人脈と能力を買われ、中途入社ながらスピード出世をした人物です。
秀吉は低い身分のでから最終的には天下人まで上り詰めた人物です。秀吉のエネルギーとハングリー精神は相当なものだったと思います。
そんな秀吉が、中途で織田家に入ってきて、どんどん出世していく光秀に対し、単純に「明智さん、すげー」というだけでは、終わらないと思います。
絶対に追い抜きたいライバルだったのではないでしょうか。
光秀は光秀で、秀吉は頭もキレて、口も上手いため、油断できないやつだなと思っていたのではないかなと思います。
互いに一番警戒していた間柄ではないかと思います。
そのため、よほど共感できるようなビジョンがなければ、手は組まないのではないのかというのが個人的な見解です。
本能寺の変の後、秀吉の一族は明智軍を恐れて、居城から逃げています。
もし、秀吉と光秀が手を組んでいたとしたら、光秀は山崎の戦いで黙って討たれたことになります。
こういった点からも、秀吉と光秀が組んでいたということはないのかなと思います。
まとめ
秀吉は、
・信長個人に対しては忠誠心があったと思われること。
・秀吉と光秀は手は組まなそう。
というあたりから、「秀吉黒幕説」はなさそうな感じです。
しかしながら、一連の秀吉の素早い決断と行動からするに、明智光秀の謀反に関する何らかの情報を得ていて、事前準備くらいはしていたのではないかなと思いました。
早めに情報は得ていたけど、秀吉が主犯となって計画したものではないのかなと思いました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございます!
秀吉と明智光秀は同じ事をしていた!?↓↓
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