明智光秀の重臣斎藤利三!斎藤道三や春日局との関係性とは?

歴史上の人物
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どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!

 

斎藤利三(さいとうとしみつ)という武将をご存じですか?

あの明智光秀の右腕と言われ、本能寺の変でも中心的な役割を果たしたのではないか、と言われています。

 

明智光秀の家臣の中では、一番知名度があるのではないかと思います。

 

・同じ「斎藤」ということで、斎藤道三とは親戚なのか?

・娘である春日局との関係性。

について、お伝えしていきたいと思います。

 

春日局が大奥の頂点に上り詰められたのは、斎藤利三の存在が大きかったと思われます。

 

 

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明智光秀の重臣斎藤利三!斎藤道三や春日局との関係とは?

斎藤利三と斎藤道三は親戚なのか?

斎藤道三

結論から言いますと、この2人は親戚ではないようです。

 

斎藤道三は初めは、「松波庄五郎」(諸説あり)と名乗っていたとも言われ、美濃の斉藤氏とは全く血縁関係がありません。

 

後に美濃の守護代の家臣になり、

松波 → 西村 → 長井 →斎藤

と出世ともに名前を変えていったと言われています。

 

斎藤利三

諸説あり家系ははっきりしていないようですが、斎藤利三のほうが本来の美濃の斎藤氏の一族です。

 

明智光秀に仕える前は、美濃三人衆の1人「稲葉一鉄(良通)」に仕えていました。

 

明智光秀の重臣には、斎藤利三のほかに、「明智秀満」「明智光忠」「藤田行政(伝五)」「三沢秀次」という人物たちがいたと言われています。

 

利三以外の4人は、「明智姓」を授けられています。

利三だけが明智姓を授かっていないのは、美濃の名族の「斎藤姓」に価値があったから、と考えられています。

 

本来の斎藤氏は斎藤利三で、斎藤道三はあくまで名前だけを名乗っていたようで、2人は親戚関係はないようです。

 

斎藤利三と春日局の関係

斎藤利三は春日局の父親です。春日局は本名「斎藤福(さいとうふく)」という名前でした。

 

春日局とは、徳川幕府三代将軍・徳川家光の乳母として仕えます。

江戸城大奥の礎を築いた人物として有名です。

 

家光からの信頼も厚く、幕府の老中たちをも上回る権力を握っていたと言われています。

すごいですね。確かに強い女性のイメージがあります。

 

春日の局は、1579年生まれです。本能寺の変が起こったのが、1582年ですので、本能寺の変の時は、わずか3歳くらいです。

 

3歳だと本能寺の変も理解できないでしょうし、父親の記憶自体がそんなになかったのかもしれません。

 

本能寺の変後は、母方の実家の稲葉家に預けられます。

 

謀反人の娘として、肩身の狭い想いをしていたのではないかと思います。

物心ついた頃から、あまり記憶のない父親の存在に苦しんでいたのかもしれないなと思いました。

 

本能寺の変がなければ、斎藤利三の娘として平凡な人生を過ごし、家光の乳母になることもなかったのかもしれません。

 

この逆境が、春日局を強い女性にし、ハングリー精神を育てたのではないかと思いました。

「謀反人の娘では終わらない」そんな気持ちだったのかもしれません。

 

こういった気持ちの強さや想いが、春日局を出世させた原動力だったのかもしれません。

 

後年、出世を遂げた春日局のおかげで、春日局の実兄・斎藤利宗が5万石で家光に取り立てられています。

 

苦労をかけることになってしまった子どもたちの後年の活躍は、斎藤利三にとって嬉しかったに違いありません。

 

さいごに

関係があると思ってしまいがちな斎藤道三と、娘の春日局との関係性についてでした。

 

斎藤道三は、出世に合わせて名前を変えていたので、斎藤利三とは親戚関係ではないようです。

 

春日局は有名な歴史上の人物ですが、その父親は斎藤利三です。

春日局を春日局たらしめたのは、父・斎藤利三の影響があったからかもしれないなと思いました。

 

本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

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