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室町幕府最後の15代将軍・足利義昭。
織田信長が登場する大河ドラマでは、登場してきます。
描かれる人物像としては、小者というか残念な人として描かれることが多いです。
本当に残念な人だったのか?
そして、過去の大河ドラマではあまり登場しない兄であり、13代将軍・足利義輝が義昭の生き様に大きく影響を与えていたと思われます。
足利義昭の意外な人物像に迫る!織田信長にも負けない偉大な志とは?
過去の大河ドラマでの足利義昭の描かれ方
・将軍の権威を傘に着て威張ってる。
・普段威張ってるけど、信長に一喝されると何も言えない。
・信長からは無能扱いされ、利用されているだけ。
・最後は情けない感じで、信長に追放される。
といった感じでしょうか。
個人的には、玉置浩二さん(秀吉)や三谷幸喜さん(功名が辻)などの演技が記憶に残ってますね。
総じて、残念なキャラでした。笑
残念なキャラとして描かれるのは、
信長側の目線で見ると、信長が追放した足利義昭は残念なキャラになってしまうのかなと思います。
「革命児の信長」と「古い権威の象徴としての義昭」という構図も見えてきます。
兄・足利義輝の死により、歴史の表舞台へ
足利義昭はもともとは、跡継ぎとして兄の足利義輝がいたので、将軍になるポジションではありませんでした。
跡継ぎではなかったので、寺に入り、お坊さんになっていました。
そんな中、兄の足利義輝が暗殺されてしまいます。
この足利義輝という人は、力を失っていた足利将軍家の権威をなんとか復活させようと尽力していた人物でした。
しかし、足利将軍家に権力を持ってほしくない人たちからは、邪魔な存在であったため、暗殺されてしまいます。
義昭はお坊さんでしたので、殺されはしませんでしたが、兄義輝を暗殺した松永久秀や三好三人衆に捕まってしまいます。
しかし、義輝の側近だった細川藤孝や三淵藤英らによって助け出され、脱出に成功します。
その後、越前の朝倉家に避難しました。
その後、明智光秀の仲介により織田信長とともに、京に上洛することになります。
そして、15代将軍に就任することになりました。
本来であればお坊さんとして、穏やかな生涯を送るはずの人でした。もし、兄の義輝が暗殺されていなければ、歴史の表舞台に登場することはなかったと思います。
足利義昭の兄・足利義輝についてはこちら↓↓
兄・足利義輝の分まで泥臭く生き、兄の志を継ごうとした
信長との対立
足利義昭は歴代将軍と比べると朝廷をあまり大事にしていなかったようです。そのため、朝廷の評判はあまりよくなかったようです。
そういったこともあり、信長から17条の意見書を出されていて、「こういうとこ良くないですよ!」とあれこれ批判されてしまいます。
足利義昭が望んでいたのは、兄・足利義輝が目指していた「将軍家の権威の復活」だったと思います。そのため、朝廷に対して、あれこれ礼を尽くすのも辞めたのかなと思います。
目下でありながら、あれこれ指図してくる信長という存在も「将軍家の権威の復活」には、今後邪魔になってくると思ったはずです。
意見書の提出のあとくらいに、信長と足利義昭の対立は決定的なものになります。
そこで、足利義昭は、上杉謙信や武田信玄、毛利輝元など名だたる武将たちに手紙を送り、「反信長の仲間」を増やそうとしました。
いわゆる「信長包囲網」と言われています。
京を追放されてもなお、権威復活を目指していた
各地の大名に手紙を送り、信長包囲網を築いた足利義昭ですが、最終的には信長に敗れ、京から追放されることになります。
一応、ここが室町幕府の滅亡と言われます。
これ以降の足利義昭については、あまり大河ドラマなどでも描かれることはないかなと思います。
実は足利義昭は京から追放はされましたが、そのまま将軍職には就いていました。
京を出た足利義昭は毛利氏を頼ります。
そして、細々と将軍の仕事はしていたようです。
足利義昭が移り住んだところが、鞆(とも)という地名のため、足利義昭の亡命政府は「鞆幕府」とも呼ばれていました。
足利義昭は京復帰や反信長勢力の再構築を諦めてはおらず、各地の有力大名たちに手紙を送り続けていました。
なんというか、泥臭い人というか粘り強い人だなと思います。
追放された時点で、自暴自棄になってもおかしくはないですからね。
「このままでは終われない」「将軍家の権威を復活させたい」という想いが足利義昭を突き動かしていたのではないでしょうか。
豊臣秀吉の時代になり、将軍職は辞すことになりますが、京に戻ることはできました。
将軍家の権威復活は果たせませんでしたが、前将軍ということで、秀吉からは優遇されていたようです。
まとめ
過去の大河ドラマでは、信長視点の作品が多いため、信長と対立した足利義昭は残念なキャラクターとして描かれることが多いです。
しかし、実際は志半ばで暗殺されてしまった兄・足利義輝の志を何とか引き継ごうとした人物のように思います。
京を追われても、粘り強く復権のために活動をしていたのは、兄・足利義輝の無念の死が大きく影響をしていたのではないかと思います。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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