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実の弟信勝(信行)をだまし討ちにしたと言われる織田信長。
この逸話は、初期の頃の信長が登場する大河ドラマなどでも登場するエピソードです。
信長の冷徹さや残虐さを描く上では、ドラマなどでは外せないエピソードとなっています。
病と称し、実の弟を呼び出し謀殺する…。
これだけを聞くと、なかなかひどい話だと思います。
しかし、実際は弟信勝による2度に及ぶ謀反に悩んだ末の謀殺だったのです。
織田信勝の2度に及ぶ謀反に悩んだ末の謀殺
1度目は許している
織田信長は、実弟信勝(信行)に2度、謀反を起こされています。
1度目は許しています。
1度目の謀反は、後に織田家の重臣となる柴田勝家が信勝(信行)側についていました。
結局は信勝(信行)の謀反は成功しませんでした。
1度目の謀反後は、信長と信勝(信行)の母である土田御前の仲介により、信勝(信行)と従った重臣たちは、信長に許してもらうことができました。
信長も母の口添えもあり、信勝(信行)が実の弟であることもあり、反省しているならば穏便に済まそうと思っていたのでしょう。
信勝(信行)、2回目の謀反の結末
信勝(信行)は、1度目の失敗に懲りず、信長の直轄領を奪おうと企んでいました。
この時、信勝(信行)は津々木蔵人という人物を重用していたと言われています。この津々木という人物がだんだん調子に乗ってしまい、柴田勝家をないがしろに扱うようになります(汗)
そのことに耐えかね、柴田勝家は信長に信勝(信行)がまたもや謀反を企んでいることを伝え、2度目の謀反の企てが発覚しました。
信長はどうしたかと言うと、病気を装い、外へ出なくなります。
そんな様子をみて、柴田勝家や土田御前が信勝(信行)に対し、「兄弟だから、見舞いに行ったほうがよいのではないか?」と信長の見舞いを勧めます。
信長が病気だと思った信勝(信行)は信長の見舞いに出かけますが、そこで、信長の命を受けた家臣に謀殺されてしまいました。
信勝(信行)の人物像考察
うつけ者と評判だった信長に比べ、真面目なタイプだったと言われる信勝(信行)。
真面目な優等生タイプであれば、織田家のために兄信長を支えることを第一に考えたと思います。しかし、実際は2回も謀反を起こしています。
実は勇猛な戦国武将らしい、下克上精神をもった人物ではないかと考察します。
謀反を企てのは信勝(信行)本人の性格によるところだけでなく、置かれた環境も大きく影響していたと思います。
・父信秀の死後、父の居城だった末盛城を譲り受けた。
・父の代からの重臣が近臣としてついた。
・母にも気に入られていた(土田御前は信勝と一緒の城に住んでいた)。
・兄信長はうつけと評判であった。
といったあたりから、少し手を伸ばせば当主の座に届きそうな立ち位置にいたのではないかと思います。
勇猛そうな人物に思われるので、「うつけの兄に任せていられない」「自分こそ当主の座にふさわしい」と思ったのかもしれませんね。
まとめ
ドラマなどでは尺の関係もあって(笑)、信勝(信行)の謀殺にいたる詳しい謀反のくだりは描かれていない場合が多いのかなと思います。
ドラマなどでは、信長は、実の弟にも手を下すことができる冷徹な人物という印象が残りやすいです。
しかし、実際は繰り返された謀反に悩み、織田家の内乱を避けるためやむを得ずに下した決断だったように思いました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【弟信勝をかわいがっていたと言われる土田御前と信長の記事についてはこちら↓↓】
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