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道三(利政)側の提案で、信長と道三(利政)は、聖徳寺(正徳寺)で会見することになります。
斎藤道三(利政)の娘・帰蝶(濃姫)は、織田信長へ嫁ぎました。信長と道三はいわゆる「婿と舅」という関係性になりました。
しかし、帰蝶が(濃姫)嫁ぐ時点で、信長と道三(利政)は互いの顔を知らなかったようです。
そして、何と言っても信長には、「うつけの噂」が飛び交っていたので、道三(利政)としては、どんな人物か気になったことだと思います(笑)
娘の心配というよりかは、信長の力量によっては「尾張を取れる」という思いだったように思います。
この会見で、信長は自身のうつけのイメージを覆したようです。
今日はそんなお話です。
織田信長は斎藤道三(利政)との聖徳寺(正徳寺)会見でうつけイメージを覆した?
聖徳寺(正徳寺)会見をセッティングした道三(利政)の意図
信長の「うつけの噂」は道三(利政)も耳にしていたので、実際にどんな男なのか自分の目で確かめたかったと思います。
道三(利政)のこれまでやり口を考えると(笑)、信長の力量によってはその場で暗殺してしまうくらいは考えていたのかもしれません(汗)
道三(利政)は聖徳寺(正徳寺)に向かう信長を覗いていた?
信長のうつけの噂を聞いていた道三(利政)は信長に恥をかかせてやろうと、自らは武士の正装でビシッときめて来ていました。
そして、信長がどんな格好でくるのか信長の行列を近くの小屋からこっそり覗いていました。
通りがかった信長を見た道三(利政)は驚きます。
信長はなんといつものうつけスタイルでやってきていたのです!
髪の毛は茶筅まげ(当時の若者に流行していたまげスタイル)、浴衣のような着物からは片方の肩を出し、なぜかひょうたんを7,8個ぶらさげるという、謎スタイルだったのです。
道三(利政)としては、自分との会見にそんな格好で臨んでくるとは、何とも腹が立ったことだと思います。
信長の突然のイメチェン
信長は会見場に着いた信長は、そこで着替えを始めます。
髪はきちんと結い直し、着物もきちんとして武士の正装に着替えました。
この信長の正装スタイルを見た人たちは、「普段のうつけぶりは、わざと装っていたんだな」と思ったと言われています。
着せられている感もなく、それだけビシッと決まっていたんでしょうね。
髪型と服装を変えるだけでも見た目の印象って全然違いますからね。
信長は美形な顔立ちという話ですので、服装と髪型を変えただけでも周囲が「おおっ!!」となったのでしょう(笑)
信長はうつけを装っていたというか、普段は自分の好きな格好がしたいという感じだったのかなと思います。あと、流行にも敏感だったのでしょう。
信長と道三(利政)の対面
いよいよ、対面の時がやってきました。
道三(利政)が現れたとき、信長は最初は知らん顔だったそうです(汗)顔を知らなければ仕方ないか…。
「山城守殿(道三のこと)でございます」と言われ、挨拶をする信長。
2人で湯漬け(お茶漬けみたいなの?)を食べて、無事に対面は終わったと言われています。
信長の突然のイメチェン姿にさすがの道三(利政)も内心動揺しながらの対面だったと思われます。
うつけスタイルで来ていたことも知っていますし。いつの間にという感じですよね。
帰り際、信長が道三(利政)を見送った際、斎藤家の槍は短く、織田家の槍は長かったことに対しても、道三(利政)はおもしろくなかったといわれています。
道三(利政)の信長への評価
信長との対面後、道三(利政)は家臣に対し、
「我が息子たちは、必ずあの阿呆(信長)の門前に馬をつなぐことになるだろう」
と言ったと言われています。
つまり、息子たちは信長の家来になるという意味です。
今回の面会で道三(利政)は、信長の力量を見抜いたようです。
この時を境に、道三(利政)の前で信長をうつけ呼ばわりする人はいなくなったと言われています。
まとめ
信長と道三(利政)の会見は、大河ドラマなどでも欠かせないエピソードでもあり、わたしが好きな逸話の1つでもあります。
この出来事は、信長も予期せぬ形で自身のうつけイメージを覆した一端を担うかたちになったと思います。
その後の、信長と道三の関係を見ると、信長が道三(利政)に城の留守役を頼んだり、道三(利政)が息子の斎藤義龍(高政)に攻められたときは、援軍をむけたりしたようです。
良好な関係を築いていた様子がうかがえます。
その信頼関係もこの会見から始まったのかなと思います。
この信長と道三(利政)の会見を通して、人の噂を鵜呑みにするのではなく、実際に自分の目や耳、感じた想いが大切なんだなということに気づかされました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございます!!
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