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織田信長と言えば、どんなイメージをお持ちですか?
わたしは信長という人物は、圧倒的なカリスマ性があり、頭がキレて、革新的な考えの持ち主というイメージがあります。
「桶狭間の戦い」の印象から、行動力と決断力を兼ね備えた人物でもあると思います。
戦国武将の中では、知名度、人気ともナンバー1ではないでしょうか。
反面、部下に厳しいパワハラ気質だったり、残虐的な性格だったのかなという印象もあります。
織田信長は理想の上司でも名前が挙がることもあると思います。個人的には信長の元で働くのはかなりハードだろうと思っています(汗)
ということで、信長が上司だったら大変なのか?を考えてみたいと思います。
人気戦国武将織田信長が上司だったら、大変なのか?
実力評価主義
本能寺の変直前の織田家臣のナンバー2とナンバー3は、それぞれ明智光秀と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)でした。
この2人にはある共通点があります。
秀吉は、出自も定かでない貧しい階級の出身ですが、結果を出しどんどん出世していきます。
光秀は、40歳頃から織田家に使えるようになった中途採用というか新参者だったんです。
2人とも代々織田家に使えていた家臣ではなかったんです。
信長は、血筋や代々仕えている家柄等にとらわれず、純粋に実力だけを見て評価していたと言われています。当時としては、珍しい考えではないかと思います。まさに、秀吉と光秀の出世が物語っていますね。
実力で評価することはもちろん良いことだと思いますが、それが行き過ぎると働いている人にとっては、かなりのストレスになるのかなと思います。
常に結果を出さないといけないプレッシャーは半端じゃないと思います。優秀な人はいいかもしれませんが、一般人にとっては厳しい環境です。わたしは、まず無理です(笑)
結局わたしのような(笑)一般人は淘汰され、デキる人だけが残っていったんじゃないかと思います。
それが、織田家が伸びていった理由の1つなのかもしれませんが(汗)
トップダウン方式
信長は、軍師やブレーンを持っていませんでした。後の天下人の豊臣秀吉や徳川家康は、軍師やブレーンを抱えていましたし、ほとんどの武将がそうなのではないかと思います。
軍師やブレーンがいないって、結構すごいことなんじゃないかと思います。
方針については誰にも相談せず1人決めて、それを家臣たちに伝えていたようです。自分の考えに絶対の自信を持っていないとなかなかできないですよね。
桶狭間の戦いの劇的勝利に始まり、信長のやり方で天下統一目前に来たという成功体験が、よりトップダウン方式を加速させていたのではないかと思います。
自分の方針は間違っていないから、みんなが付いてくるのが当たり前、付いて来れるのが当たり前というふうに思っていたんじゃないかと個人的には思います。
トップダウン方式だとなかなか自分の意見などは言えないですよね。
意外と鈍感?
織田信長は、頭もキレて有能だったと思います。しかしながら、意外と人の気持ちを察したりするのは得意ではなかったのかなと思います。
信長のレベルが高過ぎて、一般人の気持ちが理解できなかったのかなとも思います。
数々の謀反を起こされている
名だたる武将たちが信長に対して、謀反を起こしているなあと思います。許されますが柴田勝家もそうですし、松永久秀、荒木村重など…。
最後は、結局は明智光秀の謀反により生涯を終えることになってしまいます。
実は松永久秀や荒木村重が謀反を起こしたときに、当初は彼らに対し、「何か不満があるなら、言ってくれればいいのに」みたいな書状を送っていたそうです。
信長自身は、裏切られる心当たりがなかったのではないかなと思います。
わたしの憶測ですが、自分の考えに自身のあるトップダウン方式の信長なので、何か不満などがあっても言えるような環境ではないのかなと思います。信長も察するのが苦手そうですし…。何か行動を起こすときは、刺し違えるくらいの覚悟でないとだめだったのかもしれませんね。
本能寺の変の引き金
本能寺の変の説の1つに「四国説」というものがあります。
織田家が中国地方の毛利家を攻めるため、瀬戸内海を抑えたかったんです。光秀がパイプ役として四国の長宗我部氏との交渉をしていました。信長も長宗我部氏に対し、「領地は切り取り次第」と約束をしていました。
しかし信長は、急な方向転換をして、長宗我部氏のライバルの三好氏と関係を持ち始めます。長宗我部氏に対し、領土の一部を三好氏に渡せと言い始めます。これまで、交渉してきた光秀の面目丸つぶれです。
光秀は交渉を続け、長宗我部氏は信長の命令を了承してくれるところまでこぎつけました。にも関わらず、信長は長宗我部氏を攻めることを決めます。本能寺の変が起きたのはこの四国攻めの直前だったそうです。
う~ん、三好氏のほうがよほど条件が良かったのか…。確かにここまでされたら、辞表を叩きつけて辞めるレベルですね(汗)信長が家臣の心情に配慮できていたら、もしかしたら本能寺の変は起こらなかったのかもしれません。
三好氏とのパイプ役をしていたのが、羽柴秀吉でした。まさに織田家のナンバー2争いの側面もあったようです。信長は家臣同士を競わせていたとも言われています。この四国の一件もそうだとしたら、ちょっと残酷な気がします。
織田家の過度な競争体制が、信長自身の首を絞めていったようにも感じました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
信長自身、有能な武将であることは間違いないんですが、個人的には信長の下ではとてもやっていけないなという感じでした(汗)
しかし、能力があって、正当に評価してくれるならどんなにきつくても頑張れる、という人には合っている環境なのかもしれないなと思いました。
信長は、秀吉の妻・おねを気遣う手紙を出していたり、物乞いに施しをしたというエピソードもあるので、それなりの優しさは持っていたのだと思います。
しかし、仕事には一切の「情」というものを持ち込まない人だったのかもしれないなと思いました。
本日はここまで。最後までお読みいただきありがとうございました。
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