いだてん~東京オリムピック噺~第38回感想と祖父の戦争

いだてん
Gellinger / Pixabay

どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます。

 

さて、大河ドラマ好きということで「いだてん」も見ています。

大河史上最低視聴率更新が話題になりましたが、個人的には楽しく見てます。

不思議と「明日から仕事かあ~」という憂鬱が和らぐ気がします。

 

ちなみに、数十年前から毎週日曜20時に大河を見続けているわたしの父(72歳)は早々に脱落したようです。往年の大河ファン世代の脱落が、視聴率低下につながっているのかな、と個人的には思います。

 

今回の第38回「長いお別れ」の内容について、思うところがあり記事にしました。本筋の感想とは外れる部分もありますが、ご了承ください。

 

 

スポンサーリンク

いだてん第38話「長いお別れ」あらすじ、感想、祖父の出征

第38回「長いお別れ」あらすじ

日中戦争の長期化により、東京オリンピックの開催は厳しさを増す。

何とか、嘉納治五郎の想いを引き継ごうとする田畑の想いも虚しく、情勢を鑑み、オリンピック返上する副島。そんな中、シマの娘・りくと金栗の弟子・小松勝が結婚。子ども(後の五りん)が誕生する。太平洋戦争が開戦し、戦局はますます激しくなる。兵力不足の深刻化により、20歳以上の文化系大学生が徴兵対象となる(学徒出陣)。小松勝も徴兵される。昭和18年10月21日、出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれる。オリンピックのため、嘉納治五郎が作ったスタジアムから、学生たちが戦地に送られた。その学生の中には小松勝の姿もあった。その頃、孝蔵は志ん生を襲名する。

 

感想

ラストシーンは学徒出陣の壮行会でした。

 

3万人の学徒と5万人の観衆。「こんなに入るんだったらオリンピックできたじゃねーか!」と叫ぶまーちゃん(田畑)。まーちゃんの無念さが伝わってきました。

 

嘉納先生が存命だったら何て言っていたんだろう、きっとこういった使われ方は望んでいなかっただろうと思います。

 

当時の人々は本当に喜んで戦地に行ったのだろうか?

 

喜んで送り出したのだろうか?

 

「万歳、万歳」と懸命に叫ぶことで「名誉なことなんだ」と無意識の中で暗示をかけようとしているように感じられました。

 

戦地に赴いた人、送り出した1人1人に人生がありました。

 

中にはもう日本の地を踏めなかった人も大勢いました。

 

そんなことを考えさせられた第38回でした。

 

1980年代生まれのわたしにとっては、過去の大戦は遠い昔のことで、自分とは関係ない出来事と思ってしまいがちです。

 

わたしの祖父は父方、母方とも出征しています。

まさに戦地に赴いた人、1人1人の中の当事者でした。

 

わたしの父母は戦後生まれですので、もし祖父たちが戦死していれば、わたしは生まれていなかったかもしれません。

 

わたしには全く関係ないようで、実は大きく関係していることに気づかされました。

 

祖父たちの出征

わたしの父方の祖父は海軍の軍人でした。正確な出生年は記憶していないのですが、明治40年頃の生まれと聞いています。終戦時は海軍の大佐で40歳くらいだったようです。

 

当時の状況として、次男以下は「養子に出るか」「軍隊に入る」かが身を立てる道だったということを聞いたことがあります。祖父は次男だったので、軍隊に入ったのはそういう理由があったのかもしれません。

 

祖父はわたしが小学校2年生の時に亡くなっています。実は、会話した記憶がほとんどありません。眼光鋭く、どちらかと言えば近寄りがたかった記憶があります。

 

親戚から聞いた話では、戦友だった人たちの供養を欠かさず、地域の老人会の人たちからは慕われていたようです。

 

実は、大戦中2回に死にかけているそうです。米兵の魚雷襲撃に遭ったそうです。慌てて待避し難を逃れたそうですが、あと2,3秒遅ければ撃墜されていただろう、と話していたそうです。

 

母方の祖父は大正6年生まれでした。戦時中は20代でした。

 

いわゆる「赤紙」により、戦地に赴いたそうです。中国戦線に送られたそうです。

と、母方祖父に関してはこれ以上のことはわかりません。

 

わたしの高校の授業で、祖父の戦争体験を調べるというものがありました。母方の送付に依頼をしたところ、便箋用紙3枚に細かい字でびっしりと書いてくれたの記憶しています。

 

しかし、当時のわたしは祖父の戦争体験が生々しく感じられ、満足に読まずに先生へ提出してしまいました。

 

今思えば、祖父が懸命に書いてくれた「生き抜いた証」をしっかり読むべきだったと思っています。

 

祖父は大変働き者で80歳くらいまで働いていました。シルバー人材センターに登録し、ボブスレーの係員の仕事を晩年はしていました。祖母が病弱だったため、祖母の身の回りの世話もしており、非常に働き者だったという記憶が強く残っています。相撲と時代劇が大好きな祖父でした。

 

そんな祖父ですが、母から聞いた話では、自分の親が亡くなったときでも涙を見せることはありませんでしたが、昭和天皇崩御の時は涙を流していたそうです。驚きのエピソードでした。

 

最後に

第38回いだてん感想で、わたしの祖父たちの話に飛躍したのには理由がありました。

 

少し前に3親等以内の親族であれば軍歴証明書が取れることを知りました。どこの戦地に赴き、何の作戦に参加したのかなど、以外と細かいところまでわかるようです。

 

わたしが取らないともう取れなくなってしまうので、請求手続きを始めようと思ったのですが、申請書類を揃えるのが大変で放置状態でした。

 

ただ、今回のいだてんを見て、やはりちゃんと調べてみようと思い至りました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

いだてん第39話感想はこちら

いだてん~東京オリムピック噺~ 第39話「懐かしの満州」感想
どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます! 10月13日放送のいだてん第39話「懐かしの満州」について感想を書いていきたいと思います。 今回はまさかの金栗四三、田畑政治の2大主役がほぼ登場しないという回でした。 古今亭志ん...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント