女好きだった豊臣秀吉と妻おねの夫婦仲は?知られざる馴れ初めとは?

歴史上の人物
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豊臣秀吉の正室と言えば、「おね」です。秀吉が天下を取った後は、「北政所」とも呼ばれていました。

秀吉の大出世を支えた女性と言われています。まさに、内助の功ですね。

 

秀吉は無類の女好きとして有名で、側室が大勢いました。

秀吉とおねの夫婦仲はどうだったのか?

そして、そんな2人の馴れ初めとは?

 

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女好きだった豊臣秀吉と妻おねの夫婦仲は?知られざる馴れ初めとは?

秀吉の一目惚れから始まった!?

2人の出会いは、桶狭間の後くらいと言われています。

 

秀吉は立ち寄った浅野長勝の屋敷で、おねと出会います。おねは、浅野長勝の養女になっていました。

おねを一目見て秀吉は好きになったと言われています。いわゆる一目惚れですね。

 

この時、おねは14歳くらい、秀吉は24歳くらいと言われています。意外と年の差があったんですね。

そして、現代の感覚だと24歳が14歳に一目惚れって、いろいろ抵触しそうです(汗)

 

ここから、秀吉の猛アプローチが始まるようです。

 

おねは前田利家のことが好きだった!?

おねは秀吉に出会う前は、前田利家に憧れていたという話があるようです。

 

前田利家は身長が180センチ以上あったと言われています。

そして「槍の又左」と言われ、槍では誰も敵わないと言われていたようです。

 

そして、織田信長の男色相手もしていたこともあるようなので、イケメンだったと思われます。

長身のイケメンで戦いに強い男、これは女性にモテモテだったでしょうね。

 

うーん、これは秀吉の分が悪そうです。

秀吉は、140センチ台の身長であったと言われています。「猿」や「ハゲネズミ」と言われていて、イケメンだったという話は一切伝わってきていません(笑)

 

親に反対される!

秀吉はおねの好みのタイプでなかったと思わます。

 

しかし、秀吉が何度も熱い想いを伝えてくる熱意に打たれて、おねも次第に秀吉に惹かれていったようです。

ようやく両思いになった2人ですが、新たな障害が登場します。

 

おねの両親が2人の結婚に反対したと言われています。特におねの母親は猛反対したようです。

反対された理由は秀吉の「出自」でした。

 

秀吉の出自は農民の子とも足軽の子とも言われ、はっきりしていない部分ですが、低い身分の出身であることは確かなようです。

 

おねの母は、おねは武家の家に嫁がせたいと考えていたので、この結婚には猛反対でした。

まさか、この時、秀吉が後の天下人になると想像できた人はいないでしょう(笑)

 

周囲の人を味方に付ける秀吉

おねの両親に結婚を反対され困っていましたが、秀吉は周囲の人たちを味方に付けます。

さすが、人たらしという感じです。

 

おねの養父浅野家の人や仲間たちが、「秀吉は後に必ず出世する男です」と言い、おねの両親を説得してくれ、ようやくおねの両親も折れてくれたようです。

 

秀吉の浮気に嫉妬するおね

猛烈アプローチの甲斐もあり、晴れておねと夫婦になる秀吉。

さぞ、おね一筋なのかと思いきや、秀吉は無類の女好きでした(笑)

 

さすがのおねも1度、キレかけたことがあったようです。信長に秀吉の浮気を相談したようでうす。

 

有名なハゲネズミの手紙が信長からおねに送られてきます。

 

「あなたほどの妻は、あのハゲネズミはどこへ行ってもみつけられない」

「つまらないヤキモチは妬かないで、堂々としてなさい」

と信長に励まされています。

 

信長は秀吉にとって一番怖い相手だと思います。その人に訴えたということは、よほど腹に据えかねたのかもしれませんね(笑)

秀吉は懲りず?出世するにつれ、側室がどんどん増えていきます。

 

おねに片思いを相談する秀吉!?

後に天下人となった秀吉。

 

秀吉は信長の姪であり、お市の方の娘であった「茶々」を側室に迎えたいと思うようになります。

 

どうしたら茶々が自分を受け入れてくれるか思い悩んだ秀吉は、何とおねに相談したと言われています(汗)

現代の感覚では信じられませんね(笑)

 

もうこの頃になると、おねも諦めの境地というか、秀吉の全てを受け入れていたのだと思います。

いつか信長に言われたように、正妻として堂々と構えていたのではないでしょうか。

 

まとめ

秀吉とおねは、秀吉の一目惚れからの猛アプローチがきっかけで結ばれることになります。

親の反対もなんとか押さえ込んでの当時としては珍しい恋愛結婚でした。

 

出世を遂げ、女好きで側室を多く抱えていた秀吉。

だからと言って、おねへの愛情がなくなったわけではなく、貧しい頃から支えてくれたおねを心から信頼し、正室として立てていたと思います。

 

茶々のことを相談したことについても、勝手に側室にしてしまうのではなく、おねを立て、事前にことわりを入れる意味合いもあったのではないかと思いました。

 

おねはおねで秀吉に泣かされたこともあったでしょうが、秀吉という男に惚れ抜いていたのだと思います。

夫婦仲は極めて良好だったのではないでしょうか。

 

本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

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