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明智光秀の重臣であった藤田伝吾。
2020年大河ドラマ麒麟がくるにも登場しています。
演じているのは徳重聡さんです。
麒麟がくるでは、藤田伝吾ですが、実際の通称は「伝五」「伝五郎」だったとも言われています。
その生涯や人物像はほとんどわかっていません。
わかっている数少ない情報として、本能寺の変で光秀から重要任務を与えられていました。
明智光秀の信頼が厚かったとされる藤田伝吾。
彼は、本能寺の変でどのような役割を果たし、どのような最期を遂げたのでしょうか?
本能寺の変で重要任務を任された明智光秀の重臣藤田伝吾の最期とは?
本能寺の変で筒井順慶の説得に奔走
藤田伝吾は、斎藤利三や明智秀満らとともに、光秀から最初に本能寺の変の決意について打ち明けられていたと言われています。
藤田伝吾の生年は不明ですが、一説には、光秀の父の代から仕えていたと言われていてます。
そう考えると年齢的には光秀や他の重臣たちより年上と考えられ、明智家の精神的支柱のような存在だったのかもしれません。
光秀の信頼は厚かったと考えられます。
本能寺の変では、第二陣4,000人を率いて、奮戦しました。
本能寺の変後、明智光秀は親密な関係であった武将・筒井順慶を味方に引き入れようと説得を試みます。
この時、筒井順慶の説得の役を任されたのが藤田伝五でした。
筒井順慶は織田信長から、大和国を任されていた武将でした。
大和の国の統治に当たり、筒井順慶は光秀から手助けを受けており、2人の関係は親密な関係でした。
そのため、本能寺の変後の光秀としては、何としても味方に引き入れたい武将の1人でした。
明智光秀と筒井順慶の取り次ぎ役が藤田伝吾だったと言われています。
そういった経緯もあり、藤田伝吾が筒井順慶の説得に派遣されたと思われます。
本能寺の変の時の説得は、単なる取り次ぎとは違い、明智家の命運を左右する重要なものでした。
もともとの取り次ぎ役立ったことに加え、藤田伝吾への信頼が厚かったからこそ、筒井順慶の説得を託されたのだと思います。
しかし、説得も虚しく筒井順慶を味方に引き入れることはできませんでした。
山崎の戦い~そして、藤田伝吾の最期
明智光秀は筒井順慶を味方にできないまま、羽柴秀吉との天王山である山崎の戦いを迎えます。
藤田伝吾は明智軍の右翼隊を率いて戦いました。
身体の6カ所も負傷するほどの奮戦ぶりでした。
しかし、情勢は秀吉有利で、明智軍は退却を余儀なくされ、藤田伝吾も撤退します。
撤退の翌日、藤田伝吾のもとに勝龍寺城が陥落したと知らせが入りました。
勝龍寺城とは、主君の明智光秀が撤退していた城でした。
勝龍寺城の陥落の知らせ聞いた伝吾は、主君の死を悟ります。
「もはやこれまで」と藤田伝吾は主君を追い、その場で自害して果てました。
まとめ
明智光秀の重臣・藤田伝吾についてでした。
筒井順慶は秀吉側につきますが、山崎の戦いの後、参陣の遅れを秀吉から叱責されています。
この出来事から、結果だけを見れば藤田伝吾の説得は失敗に終わっていますが、筒井順慶の気持ちを動かすことには成功したのかもしれないなと思いました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
同じく明智光秀の重臣・明智左馬助(秀満)の最期についてはこちら↓↓
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