どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」で今井翼さんが演じることで、注目の毛利新介についてです。
毛利新介は、織田信長の勢力拡大のきっかけともなった「桶狭間の戦い」であの今川義元の首を討ち取った人物です。
その後の毛利新介の生涯についてはあまり語られることがないように思います。
実はあの歴史的大事件に巻き込まれ、壮絶な最期を遂げていました。
桶狭間で今川義元を討った毛利新介は本能寺の変で壮絶な最期を遂げた!
服部小平太を助け、今川義元を討ち取った桶狭間の戦い
毛利新介は織田信長の「馬廻(うままわり)」として仕えていました。
馬廻とは、大将の馬のまわりに付き添って護衛や伝達、決戦の時の兵としても戦う役割でした。
織田信長の軍勢は、桶狭間で休息をしていた今川義元の軍勢に攻め込みます。
今川義元の周りにははじめは、300人ほどが義元を守るようにいました。しかし、織田勢の勢いに押され、次第に人数が減っていきました。
織田勢のほうも、怪我人や死者を多数だしていました。
そんな状況の中、服部小平太という人物が、1番最初に今川義元に斬りかかります。
服部小平太も毛利新介と同じ、信長の馬廻りでした。
今川義元も抵抗を見せ、服部小平太は今川義元に膝のあたりを斬られ、倒れ込んでしまいます。
逆に服部小平太のほうが追い込まれてしまった時に、毛利新介が服部小平太を助け、今川義元に襲いかかり、ついに今川義元の首を取りました。
今川義元の首を取るときに、毛利新介は指を噛み切られたという話もあるようです。
かなり、激しい死闘であったと思われます。
1番の恩賞は別の武将に
桶狭間の戦いの後、信長により、論功行賞が行われました。
1番の手柄は、今川義元の首を討ち取った毛利新介、または最初に今川義元に斬りかかった服部小平太だろうとみんな思っていました。
しかし、信長が1番の手柄としたのはこの2人ではありませんでした。
信長に今川義元の本陣の場所を伝えた梁田政綱(やなだまさつな)という武将に信長は1番手柄を与えました。
ちなみに二番手柄は、服部小平太。そして3番手柄が毛利新介と言われています。
意外な感じがしますが、そもそも今川義元の本陣がわからなければ、桶狭間の勝利もなかったわけなので、そう考えるとなるほどなと思いました。
論理的な信長らしい考えだなと思いました。
しかし、毛利新介の心中はどうだったのか気になるところではあります。
本能寺の変で壮絶な最期を遂げる
桶狭間の後、名前を新介→良勝に変更します。
馬廻り衆の中から信長直属の使い番として選抜され、側近として活躍していたと言われています。
書状に署名などを残したりもしていました。
そして、あの本能寺の変のが起きた時も、側近として信長に従って京に滞在していました。
毛利新介は、信長と共に京に滞在していた信長の嫡男・織田信忠と二条城にいました。
本能寺の変が起き、明智勢は信長だけでなく、二条城にいた信長の嫡男・織田信忠にも攻めかかりました。
毛利新介は、織田信忠を守りながら共に戦います。最後は奮戦も虚しく討ち死にしてしまいました。
ちなみに、毛利新介に桶狭間で助けられた服部小平太は、信長亡き後は秀吉の家臣となります。
しかし、秀吉の甥・豊臣秀次の切腹事件に巻き込まれ、服部小平太も秀吉に切腹を命じられています。
まとめ
桶狭間の戦いで名を上げ、最期は本能寺の変で散っていった毛利新介。
これは、主君であった信長の生涯とも重なります。
人生の節目で歴史的に大きな出来事に関わっていました。
戦国武将らしい激動の生涯であったと思います。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
織田信長が桶狭間の戦いでなぜ今川義元に勝てたのかは、こちらで考察↓↓
コメント