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織田信長とその正室濃姫(帰蝶)。
歴代の大河ドラマなどでは、ラブラブな感じではないけれど、互いに認め合っているという描かれ方が多いような気がします。
そして、本能寺の変では濃姫(帰蝶)は信長と運命を共にするという描かれ方も多いです。
実際は、この2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか?
2人の間に子どもはいたのでしょうか?
信長には側室がいたのでしょうか?
信長と濃姫(帰蝶)の夫婦仲は?信長が本当に愛した女性は誰?
史実の信長と濃姫(帰蝶)の夫婦仲
濃姫(帰蝶)は、信長の正室になったことはわかっていますが、信長との結婚後の記録がほとんどありません。
そのため、結婚後早いうちに死亡したか、離縁したかという説もあるくらいです。
没年すら定かではないのです。
夫婦仲を示すようなエピソードも残っていません。
2人の間に生まれた子どもはいなかったようです。
信長が本当に愛した女性は?
諸説ありますが、信長には側室が9人いたと言われています。
その中でも、信長が最も愛した女性といわれているのが「吉乃」という女性。
濃姫(帰蝶)とのエピソードはないにも関わらず、吉乃とのエピソードは残されています。
戦で夫を失い実家に戻っていた吉乃。たまたま出入りしていた若き日の信長に見初められます。信長は、足繁く吉乃のいる生駒屋敷に通ったと言われています。
一説には吉乃ほうが信長より年上であったと言われています。年上で結婚歴もあった吉乃。
信長にとって憧れのお姉さんだったのかもしれませんね。
吉乃は、信長の子を3人産んだと言われています。
嫡男となる長男・信忠、次男の信雄、徳姫です。
吉乃は、3人目の出産後の産後の肥立ちが悪く、寝込むようになります。
結局は29歳の若さ(諸説あります)で亡くなってしまいます。
この時の信長は、人目もはばからず号泣したと言われています。
なんとなくドライなイメージのある信長ですが、本当に愛していたんでしょうね。
信長と濃姫(帰蝶)の夫婦仲を考察
信長は母親がはっきりしていない子ども合わせると20人ほどの子をなしたと言われていますが、濃姫(帰蝶)との間には子どもがいませんでした。
仲が悪かったというよりは、子宝にめぐまれなかったのかなと思います。
吉乃が産んだ子どもの信忠を濃姫(帰蝶)の養子として迎え、嫡男として育てたと言われています。
信長が気持ちに面では、本当に好きだったのは吉乃かもしれません。
しかし、濃姫(帰蝶)については、正室として尊重して接していたのではないかと思います。
信長と濃姫(帰蝶)はいわゆるラブラブな夫婦ではなかったかもしれませんが、一定の距離感を保ちつつ、互いに認め合っていた夫婦仲だったのではないかなと思います。
さいごに
信長が愛した女性は側室の吉乃でした。
しかし、濃姫(帰蝶)との仲は不仲ではなく、正室として尊重されていた思います。
イメージとしては、大河ドラマで描かれているような、一定の距離感はありつつ互いに認め合ったていたという関係性が、案外近いのではなないかなと思いました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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